行けたんだ! カナダ!!

~三十路兄ちゃんのカナダ生活日記~

夏はやっぱりフェスティバル(2)

 モントリオールを諦めていたその頃、トロントでもジャズフェスティバルがある事を知った。

 世界的に見ればあまり知名度はないジャズフェスではあったけど、結構有名なミュージシャンも来ていた。

 日本の同じ様なフェスティバルと違い、こっちでは10日間ぐらいいろいろな場所で行われる。値段も手頃で、世界的に有名なジャズシンガー、アーネスティ・アンダーソンのライブは35ドル(当時約2800円)。無料の野外ライブやストリートライブも何か所でもやっていた。

 ジャズフェスと言ってもジャズだけでは無く、ブルース、ソウル、ロック、ラテン系など様々な音楽が街のあちこちで聞こえてきた。

 僕もパンフレット片手にいろいろな会場やライブハウスに足を運んだ。友達で音楽が好きな奴はあまりいなかったので、こんなに英語が喋れない僕なんだけど、好きこそ物の何とかで、結構一人でデカいカナダ人の中に入って音楽を聴いた。

 でも正直言って一人はやっぱり寂しいもんである。

 英語もろくに喋れないし、日本人だし・・・。

 演奏最中はいいのである。問題は休憩時間だ。みんなそれぞれ今のステージの話しをしたり、恋人同士はいちゃいちゃしたり、常連の客は互いに仲良くしている。

 僕はと言うと、一人寂しく酒を飲むしかないのである。

 日記をつけたりもしてみたが、あまり面白いとは言えない(今ならスマホがあるから暇つぶし出来るよね~でもその当時はそんなのなくてね)。

 日本だったら、カウンターで隣に座った人と割りと気軽に話しかけられる性格なんだけど、英語力が乏しい僕はここでは、話しかけても長続きはしない。

 それでも時々たまには楽しい休憩時間もあった。

 

 ある夜、シカゴの有名なブルースハープのミュージシャンが出演するという店に一人で行った。

 初めて入るその店は、いかにもブルースやってるぞー!というちょっと不良っぽい店で、客もTシャツから出たタトゥー入りのぶっとい腕を振り回すハルク・ホーガンの様なデカイ白人だらけだった。

 僕なんてちんけなアジアン小僧だ。

 でも音楽はさすが本場のシカゴブルース。無茶苦茶カッコイイんだなあ、これが!

「イエ~イ、ピーピー!」

 前半のステージが終わり、休憩時間になった。

 僕はいつもの様に一人で余韻に浸りながら、酒を飲んでいた。

 隣に、昔良くテレビに出ていたチャック・ウイルソンの様な三人組のおじさんが、

ワイワイガヤガヤと楽しそうに飲んでいた。

 少しするとその中の一人のおじさんが酒の勢いも借りて、この細いアジアン小僧に話しかけてきた。

「......そうか日本から来たのか。カナダはどうだ?いい国だろ?」

「うんそうだね、こんないい音楽を安くいっぱい聴けるし、カナダ人は優しいし......」

「そうか、そうか」

 どこの国の人間も自分の国を良く言われると、やっぱり嬉しいもんである。

 その後もいろいろな話しになった(よく解らない所もいっぱいあったけど)。

 僕は仕事が見つからない事、こんな英語力では雇ってくれる人がいない事などをペラペラ(ペラペラではないんだなあ、これが)と話してしまった。

 彼にとっては僕の事なんてどうでもいい事であり、酒の席での暇つぶし程度にしか思っていないのは十分わかってはいたんだけど、人恋しさもありつい話してしまった。

 後半のステージも終わり、チャック三人組は僕の事なんて構わずカナディアンビールをガブガブ飲み盛り上がっていた。

 僕は再び孤独になり、さて帰ろうと席を立った時、さっき話してたおじさんが僕を呼び止め言った。

「よーお前、グットラック!」

 外国でのそういう一言は、ホントちからになるんだよね。

 ありがとう、チャックおじさん。がんばるよ!

 

 レゲエのライブが、歩行者天国にしたメインストリートでやっていた。ブラスバンドも入ってて結構いけてる。

 人が道から溢れんばかりにいて、真夏のいい夜といった感じ。

 黒人の太ったお母さんが子供にせがまれて、二人の小さな子を抱きかかえている。すごく重そうなんだけど、腰は音楽にのってスイングしていた。

 いつもは、面白くなさそうな顔して道端に座っているホームレスも、この時ばかりはみんなと一緒に楽しく踊っていた。けど手にはしっかりと恵みの金を入れるための紙コップは忘れずに握りしめて。

 この雰囲気最高!何かが日本と違うんだよね。多分ほんのちょっとの差なんじゃないのかなあ。素直さかな?

 

 この街には、世界各地からやって来た移民達のその国、宗教のパレードや、クリスマスのサンタクロースのパレード等、いろいろなパレードを見る事が出来る。

 その中でも一番ド派手で、ある意味一番有名なパレードがある。

 それはゲイパレードである。

 初夏の時期に数日間に渡って、一万人以上のゲイやレズビアンの人達が集まるフェスティバルが行われる。このフェスティバルはニューヨークやサンフランシスコと並び、世界でも最大級らしい。

 カナダでは、同性愛者の市民権がかなり確立されていて、街を歩いていても、若いのからおじいちゃん同志まで、老若男女?の同性愛者の人達が手をつないで、沢山歩いている。

 同性愛者を意味する虹色の旗を車に付けたり、家の前にその旗を掲げている人までもいる。初めは正直びっくりしたが、カナダはそれだけ開かれた国なのである。

 ちょっと怖い物見たさで、友達とゲイフェスティバルに行った。

 一本のストリートとその周辺を完全に封鎖して、ジャズフェスと同じ様に街をあげてのフェスティバルだった。協賛も航空会社やビール会社、日本のNTTの様な電話会社などが揃っていた。さすが市民権を得ている、日本とは良くも悪くも大違いだ。

 周辺は凄い何とも言えない熱気だった。

 僕が見に行った日はゲイの日。その次の日はレズビアンの日だった。

 上半身裸や短パン一丁のマッチョな男達が、その通りを埋め尽くしていた。そして何故かキャーキャー悲鳴をあげながら水鉄砲で、お互い水をかけ合っているのである。

 見物人達もその水攻めに合い、みんなビショビショだ。

 ステージでは、ゲイによるゲイのためのライブが行われていて、その筋の人達は盛り上がって一緒に踊っている。抱き合っている者もいれば、人目も気にせずキスしている者もいる。もうグチャグチャ状態だ!

 さすがに僕は怖くて、そのステージには近付けなかった。ホントの話し、身の危険!?を感じてしまった。

 幸い僕は、女の子の友達二人と来ていたので良かったが、男だけで、特に二人だけでは、来てはいけないなあと思った。あの状況の中での男二人連れは、誰が見てもカップルに見えてしまう。その筋の人達に話しかけられてしまう。

 このフェスティバルの正しい見物の仕方は、必ず女性を連れて行くべきである!

 でもあそこまでオープンにやられると、気持ちいいもんである。さすが外国だよね、みんな明るいよ。

夏はやっぱりフェスティバル(1)

 トロントの夏は暑い!

 特に僕のいた頃はここ何年かぶりの暑さで、連日35度以上にまで気温が上がっていた。

 しかし今や熱帯地方の日本の暑さとは違い、じめじめした湿度が無い事がまだ救いだった。

 その暑さとともに街では、毎週末いたる所でいろいろなフェスティバルが催される。

 ダウンタウンのメインストリートを通行止めにし、野外ライブやパフォーマンス、いろいろなパレード、オンタリオ湖畔での航空ショーや花火大会、それにF1レース。とても楽しい季節だ。僕もいろいろなフェスティバルに出向いて行った。

 ジャズが好きな僕は当初、トロントから500キロぐらい東にある街モントリオールで夏行われる、世界三大ジャズフェスティバルの一つ ”モントリオールジャズフェスティバル” に行こうと思っていた。

 二か月間の英語学校も終わり、

「よし!二週間ぐらいモントリオールに行くか!」と、僕は財布と相談した。すると喋る筈もない僕の財布は「そんな お金ありませ~ん!」と言ったと思う。

 そうだったのだ!この二か月間でお金を予定より使い過ぎてしまったのである。旅行するどころか、直ぐにでも仕事を見つけなきゃならない状況にあった。

 

 最初カナダに来たばっかりの時、時差ボケならぬお金の価値観ボケが、かなり治らなかった。

 どこの国に行ってもあると思うんだけど、世界一物価が高い日本を一歩出ると、他の国の物価が安い事を実感する。先進国のカナダでさえ日本よりは、安く感じる。

 しかし単純に安いからと言って、喜んではいられない。世の中にはいろいろなトリックが潜んでいるのである。

 店で物を買おうとする場合、値札を見る。すると、同じ様な物でも日本で買うよりも安いという事がよくある。

「カナダで買うと安いなー!これ、買おう」と買ってしまう。しかし値札の安さだけに惹かれてしまってはいけない。税金を考えなくてはならないのである。

 僕が住んでいたオンタリオ州では、カナダの消費税(GST)が7%、それにオンタリオ州の消費税(PST)が8%、合計なんと!15%の税金が殆どの物にかかってくる。

 つまり値札に200ドルと書かれた服をレジに持って行くと、15%の税金が足され

「230ドルです!」と言われるのだ(その当時は国税、州税と二つに分かれていたけど、今現在は二つが一緒にHSTとなり13%である)。

 心理的に安く見せようとカナダでも、99ドルとか199ドルとかの中途半端な数字を良くみるけど、会計で15%もの税金を足されると、元の金額なんてもう、どっかへ行ってしまう感じだ。

 そう言えば、日本では定番のあの ”イチきゅっぱー(198)”と最後の桁に”8”を付けるのは、こっちでは見なかった様な気がする。こっちは”9”を付けるのが多いんじゃないのかな。何故だろう?

 そんなに高い税金にも関わらず、分かっちゃいるんだけど書いてる金額の安さでついつい買ってしまうのである。

 

 税金の高さもさる事ながら、日本では存在しない出費がある。

 それは日本人が海外旅行で一番悩むと言われている物、チップだ。

 レストランでの食事やサービスを受けた時に払う物だけど、これがまた癖者なのである。

 チップの平均は大体10~15%と言われている。それはサービスに対しての報酬であるから、余りにも悪い接客や乱暴な運転をするタクシーには極端な話し払う必要はない。

 日本人の観光客はチップを払い過ぎると良く言われる。それは何故か?単に慣れていないと言うのもあるし、英語が喋れない、計算が面倒臭いというのもあると思う。

 僕も最初の頃経験があるんだけど、例えばタクシーに乗ってメーターの金額が20ドルだとする。10%は直ぐ分かる2ドルだ。じゃ!15%はというと3ドル(僕はこれも直ぐ出ない時もある、だって降りる直前だし、ましてや英語だし)、つまり定説を信じ2ドルから3ドルのチップでいいなと考える訳だ。

 でも感じの良い運ちゃんだったし、2ドルは少ないかなあ3ドルにしよう!そう決める。

 そこで降りる際合計23ドル払おうとして、財布を開けると細かいお金が全然ない。

あるのは20ドル札と5ドル札、それにコインが数セント。

「もう、面倒臭いから25ドル払っちゃえ!」とつい日本人はそういう時、太っ腹なのか何なのか、切り捨てではなく切り上げをしてしまう。

 でもそうなると、結局25%ものチップを払ってしまった事になってしまうのだ。

 その後チップのお釣りをもらう事が失礼ではない事、その時に使う英語を知った事で以前の様な事はなくなったけど、最初のうちはそんな事も分からないので、凄い高い率のチップを渡していたと思う。

 レストランに行きメニューを見ると日本よりも割りと安いと感じる、量も多いし。

 しかし、またチップがあるんだよね~!それに加え例の高い税金もある。それらを考えると、メニューに書いている金額のな、な、なんと!30%も多く実際は払わなければならない事になってしまうのだ。

 そんなこんなで最初のうちは、カナダは日本よりは物価が安いんだけど、慣れない税金やチップの魔術で、予想以上にお金を使ってしまったのであった。

香港的騒騒家族

 僕がカナダで二軒目に住んだ家は香港移民の若夫婦の家。そのベースメントに五か月くらい住んだ。

 旦那さんのホンは、ちょっとカトちゃんに似ていて、とっちゃん坊やという感じ。年は36歳だったかな。

 働き者で工場仕事で疲れて帰って来た後でも、結構家の仕事をしていた。

 壊れたテーブルを直したり、部屋の壁のペンキ塗りをしたり、物置兼車庫の片づけをしたり、良く働く人だ。

 少ししてから分かった事だったんだけど、その家は中古で半年くらい前に買ったばかりであった。

 だからあちこち手を加えたり、直したりしていたのだ。

 カナダでは新築の家という物をあまり見かけない。

 こっちの人は新しい物を直ぐパッと買う日本人とは違って、古い物を大事に長く使い続けるという人が多い。だから家だって、中古の家を買ってあちこち自分達で直して住むのである(単に古いだけでなく、趣がある家が多い、たまに百年近くの家もある)。

 部屋の壁の色も、持ち主が変わる度に、その人の趣味で塗り替えられる。

 古い家になればなるほど、ペンキが何層にも塗り足されているので、ちょっとした壁の出っ張りなんか、すごくデカくなってたりする。

 色も種々雑多、真っ白、水色、薄緑、紫、たまにピンクの部屋だってある。有り難い事に僕の部屋の色は、普通に白だったけど。

 そんな働き者で真面目なホンではあったが、あまり愛想良く話すという事はない人だった。それにちょっと気難しく細かい人で、住人への約束事も多い。

 彼は僕の様なお気軽兄ちゃんとは違い、酒もタバコも一切やらない。だから家の中は、またしても全面禁煙!

 タバコを吸う時は裏の庭で吸う。まあ、十五階から降りて吸っていた時よりは、ちゃんとキャンプ用の椅子やテーブルもあったので、快適ではあったけど。

 部屋では汚れるからと、食べ物をたべたり、ジュースを持ち込んで飲んだりしては駄目。もちろんビールも駄目。食べたり飲んだりする時は、必ずキッチンでする事。

 それにとにかく一番うるさいのは、電気だった。ひとたびキッチンや部屋の電気を消し忘れた日にゃ、ものすごい剣幕で怒って来る。忘れたのは確かにこっちのミスなんだけど、何もそこまで言わなくても......という感じ。

 そういう問題でその家に住む人間とホンとは、今までなかなかうまくいかなかったらしい。

 一度、僕が入る前に住んでいたという日本人と会った事があった。彼は場所や家賃はいいんだけど、ホンがね~と言っていた。

 でも見ず知らずの外国人を住まわせる訳だから、ある意味それくらい厳しくしないといけないのかなあと僕は思っていた。

 でもそのホンの奥さんティーリンは、旦那とは正反対の性格であった。すごく社交的でいつも明るく、冗談もしょっちゅう言い酒もたまに飲み、カナダ滞在中の英語力も弱い貧乏日本人の相談にのってくれる姉ちゃんという感じだった。年も僕より4つくらい上で本当の姉ちゃんという感じだった。

 彼女はもともと美容師で、以前は家の近くで友達と店をやっていたらしいんだけど、うまくいかなく廃業して、今は自宅の地下室の僕の隣の部屋で細々と近所のおばちゃん達の髪を切っている。だから家の中にはいつも、客やら近所に住んでいるティーリンのお母さんやら親戚やらが出入りしていた。

 その人達はお互い中国語なので、何を言っているのかさっぱり分からず、まして香港の中国語(カントニーズ)は言葉がきついので、最初は喧嘩でもしているのか?とちょっと怖かった。香港語は中国語の中の大阪弁みたいな物なのか?

 二人には子供がいた。4歳のテレンス、かわいい男の子だ。いたずら盛りでよくホンとティーリンに怒られていたけど、どこの国の子でも子供はやっぱりかわいいもんである。

 僕は時々テレンスと遊ぶんだけど、彼は香港人の両親を持つカナダ生まれのカナダ人。だから喋る言葉は、両方の言葉が混ざっている。

 ある時僕にじゃれてて、何かをテレンスが言った。その意味が分からなくて、多分僕の知らない単語だと思い、「やばい、4歳に負けている!」と頭を悩ませていたら、ティーリンが来て、「今のは中国語だよ!」と笑って言った。

 

 ある日いつもカリカリしているホンが、僕の部屋に来て、珍しく笑顔で話し掛けてきた。

 夕食まだなら一緒に食べないか?と言うのである。

 貧乏でいつもピザやホットドックしか食べていない僕は、素直に喜んでディナーをご馳走になる事にした。

 仕事も見つからず、英語もまだろくに喋れない僕に気を使ってくれたのかなあと思って、「サンキュー」を繰り返した。そして自分の部屋に戻って数十分後、近所の中国人家族の集団が、ドカドカっとやって来た。

 僕の部屋は地下なので、一階の騒ぎがもろに天井を揺らす。

 子供達はドタバタ走り回り、ゆっくりFMラジオのジャズでも聞こうと思っていたのに、無残にもその夢は打ち砕かれ、もう午前一時だというのに、パーティーは収まらず、眠る事も出来ない。

 僕は思った。さっきのディナーは、「これからうるさくなるけど、がまんしてね!」という事だったのかも知れない。この夫婦おそるべし!!

部屋が見つからな~い!(2)

 ある日ちょっと危険な地区に安アパートがあるのを見つけた。

 最初迷ったが、ここはニューヨークでもないしカナダで銃は認められていないし、まあ大丈夫だろうと思い取りあえず見に行った。

 家賃は380ドル、安い!しかもアパート。シェアじゃない! 早速事務所に行ってみた。

 事務の黒人のおばちゃんは、今までカナダで会った人間の中で一番愛想の悪い奴だった(こいつの出身はニューヨークか?......なんて)。

「部屋を見せてくれる?」と部屋探しの基本的第一声をそのおばちゃんにぶつけた。そう言うと、普通は見せてくれるので気軽に聞いた。

 しかし彼女からは予想もしない答えが返ってきた。

「ノー!うちは見れない、でも部屋はあるよ」

「でも、なぜ見れないの?」と当たり前の質問をぶつけると、おばちゃん曰く、

「みんなのプライバシーがあるからね」と分かったんだか分からない様な答えが返ってきた。そして部屋とバス、トイレの写真を見せられた。

 そのアパートは部屋は一人ずつちゃんと分かれているんだけど、バス、トイレは共同だった。十階建てのでかい寮といった感じ。

 部屋を直接見せてくれなかったり、バス、トイレ共同というのが引っ掛かったが、380ドルは今の僕に取ってとても魅力的な金額だ。

 おばちゃんは僕に入居申込書のような物を渡して、その紙に全て記入しろと言う。でも良く分からない所が何か所もあった。

 彼女は面倒臭そうに、半分馬鹿にする様に、

「わかんないのかい?英語読めないの?」という顔で僕を見ていた。

 全文を100%理解せずサインする事が怖かったので、僕は正直に、

「分からない所があるから、家で辞書と一緒に読むよ」と言い、その紙を持って帰った。

 その日の夕食の時、そこのアパートの事をローラとラリーに話した。するとそれまで普通に会話していたローラの顔色が一変した。

「あの地区は麻薬の売人や売春婦がゴロゴロしている地区なのよ。だから家賃も安いの!絶対に止めなさい!!

 足長おじさんラリーも、フォークでサラダを刺しながら「そうだ、そうだ」とうなずいていた。

 まさかそこまで二人が怒るとは思わなかったので、僕もやっぱりあのアパートはやばいかなあと思い、

「そうだね、止めます」と言った。

 するとローラは安心して、

「あなたがもしそのアパートに住んだら、わたし夜もおちおち眠れないところだったわよ」とワッハッハと笑って言った。

 ボールドウィン夫妻はカナダの父さん母さんだ。ありがたい事だ。

 でも来月から住む所は見つけなければならず、僕の事をそんなに考えてくれるのなら、もしかして!?と淡い希望を抱き、ローラに恐る恐る聞いてみた。

「もし、出来る事なら......、来月も部屋を借りる事は出来ませんか......?出来れば食事はいらないので宿泊費だけで......」

ローラはニコニコしながら言った。

「ごめんねえ~、それは出来ないのよ、来月から入る人もう決まっちゃったのよ」

「う~む......」

 やっぱりそれとこれとは違う話しであった。残念!でももう人が決まってたなんて、ちゃっかりしてるなあ~。

 

 いろいろ結局苦労した末、ホームステイの契約切れ5日前というギリギリのところで、やっと次の住む場所が決まった。

 香港系カナディアンの若夫婦の家だ。家賃は320ドル。

 二階の一部屋に日本人の女の子が住んでおり、その隣の部屋で彼等は寝ているらしい。僕が借りる部屋はベースメント(地下)。地下と言っても半地下なので、小さいけど上に窓は付いている。

 洗濯は近くのコインランドリーだけど部屋は綺麗だし、一階にあるキッチン、冷蔵庫は使えるしエアコンもあるし、ベースメントだけど明るい部屋でまあ安いと思う。

 

取りあえず良かった良かった。これでホームレスに成らずにすんだよ!

部屋が見つからな~い!(1)

 日本から旅行会社を通して契約したのは、二か月間だけのホームステイと英語学校である。

 つまりその後は、日本の27倍もの国土を持つ広大な国、ここカナダに僕は一人ほっぽり出される訳である。

 ここからが本当の海外でのサバイバルレース!?の始まりという訳だ。

 現実問題、一番大事なのはお金である。

 僕は自慢じゃないけどお金がない。旅行会社に支払った金額とは別に、僕が持って来た全財産は日本円であと50万円にも満たない。帰りの飛行機代も残さなければならない。お金が無くなれば即、自主強制送還である。

 無謀にもこんな貯金で良く来たものである。自分でも呆れると言うか、勇気あると言うか、持ち前のなんとかなるさ精神でやってきた。

 でもそのお金の問題より、もっと今直面する問題があった。それは、来月からの住む場所だ!

 外国での初めての部屋探し、しかもこんな御粗末な英語力でみつかるかなあ~。まあ、なんとかなるか。

 トロントには日本人向けの日本語新聞がある。週一回出ている新聞で、そこには売ります買いますコーナーや求人情報、貸部屋情報などが載っている。あと日本食料品店や英語学校の掲示板などにも部屋情報がある(今ではネットでいろいろ調べる事が出来るけど、当時はこんな感じだったんだよねえ~)。

 もちろん日本と同様に、その手の雑誌や新聞の部屋貸しコーナー、不動産屋もあるにはあるが、それは広く一般的カナディアン向けかなと思いやめた(というより交渉するにあたっての英語の不安だけど)。

 でも日本語新聞を見て電話しても、ほとんど日本語が通じる事はなく、結局英語で話さなければならなかったけど......。

 

 こっちで部屋を借りる場合、大きく分けて三つのタイプがある。一つは日本と同じ様にアパートを借りるタイプ。一つは大家さんがいる一軒家なりアパートの一部屋だけを借りて、キッチンやバスは共同。そしてもう一つは広いアパートや一軒家を複数の人間で借りる事、シェアと言う。

 最初、憧れの外国で一人で、古くてもいいからアパートを借りて暮らしたいなあという夢があった。

 朝、CNNを見ながらコーヒーを飲み、シャワーを浴びて仕事に行き、夜は、バーボンのグラスを傾けながら映画を見て、けたたましいパトカーや救急車のサイレンを子守歌がわりに眠りに着く。こんなニューヨークが舞台のハードボイルド映画の様な生活に憧れていた(バカだねえ~、テレビの見すぎだよ!)。

 

 いつも行く日本食料品店の近くに、安いアパートがあるというので行ってみた。

 部屋は6畳ワンルームぐらいかなあ。古くて安いビジネスホテルといった感じ。まあ一人で住むにはいいかなと思った。家賃は一か月500ドル、日本円で四万円。

 こっちでは大体そうなんだけど家賃の中に電気代、水道代、暖房費も含まれている(ガスは少ない、ほとんど電気のレンジである)。

 日本で言えば激安である。しかし悲しいかな仕事がまだ決まっていない身には、500ドルでも高かった。他も何件かあたったが、同じ様なクラスでそれ以下というのは、無い様な感じだった。

「まあ、しょうがないなあ~」とハードボイルド映画の主人公になる夢は、諦めざるを得なかった(僕は諦めも早いのだ!)。

 その後も新聞や掲示板をむさぼり見る日々が続いた。

 でも「これいいじゃん!」と思って、電話したら一歩遅かったり、金額も安く手頃だと思い見に行くと、床がピサの斜塔!?だったりするのである。

 それに何故か女性希望というのがとにかく多い。男は部屋を汚くするからとでも言うのであろうか。

 逆男女差別だー!、訴えてやるー! とでも言いたいところではあるが、訴える金も英語力もない。

 そんなこんなで、なかなか決まらなかった。

 日本でも部屋探しは苦労したんだから、英語もたいして通じないここカナダで難しいのは、当たり前かと自分を慰めていた。

 でもホームステイを出なきゃならない日が刻一刻と近付いて来ていたので、さすがに呑気な僕でも徐々に焦ってきた。

細かい事は気にしない

 英語力、進歩しているのだろうか?

 全然来た時と変わらない様にも思える。

 それと最近ちょっと疲れてきた。

 友達のチュン・チュン(台湾人)は、僕よりも喋れない事でいろいろ悩んでいる。けれども彼は留学生の従兄と一緒に住んでいて、家に帰れば思う存分中国語で、英語や生活の悩みを従兄に話す事が出来る。

 ボールドウィン夫妻はとてもいい人達で、僕に何でも相談するように、いつも言ってくれるのだけど、英語の悩みを英語で説明しようとすると、もっと悩みの種が増える事もある。

 家にいる間ずっと、この僕のつたない英語で喋ったり、説明したり、聞いたりする事が、だんだん疲れてきた。

 疲れている割りには、英語力がたいして進歩していない。

 特にリスニングだ。何言っているのか大体は(ホント大体だけど)解るんだけど、細かい単語が聞き取れない。けどその細かい所が結構重要なのだ!

 

 でもある日、そんな僕を見てローラ母さんは、わざわざ部屋にいる僕を呼び出しソファーに座らせ、励ましてくれた。

「私はここカナダで生まれたから、英語をうまく話す事が出来るのよ。でも私は英語しか話せない」

「あなたは日本で生まれたから日本語がうまく話す事が出来るでしょう。ましてや今あなたは、カナダに住み、まだうまくはないけど英語を話している。カナダで生まれた人間より英語を話せないのは当たり前、だって私だって日本語が話せないもの。あなたは今二つの言葉を話している、私よりも素晴らしいのよ。だから諦めないでがんばって!」

 すごく嬉しかった。結構落ち込んでいた時期なので、ローラのその言葉に目頭が少し熱くなってしまった。

 いやあ~本当にいい家族だ!ありがたいなあと思った。

 

 こっちの家には食器洗浄機がかなり普及している。汚れた皿をポンポン入れてボタンを一つ押せば、洗い物は終了という訳。

 最初からシステムキッチンに組み込まれている物も多い。

 でも日本ではあまり普及していない。

 機械大好き日本人なら、もっとあってもいいじゃん!と思うんだけど......。

 ホームステイして僕は分かった、日本人に食器洗浄機が受け入れられない理由が。

 昔なんかの本で、日本は欧米諸国に比べて水道代が高いから、水をたくさん使う洗浄機はなかなか受け入れられない。と読んだ事があった。

 もちろん、そういう理由は分かるが、それだけではないと思う。

 単刀直入に言うと、食器洗浄機では汚れが完璧には落ちない。油汚れや皿にこびり付いている汚れは、かなり強力な業務用でもなかなか綺麗にはならないのだ!

 でもこっちの人は少しくらい汚れが残っていても、あまり気にならないみたい。

 ローラは料理が上手な人で、毎日いろいろな料理を作ってくれた。僕が日本人だという事で、たまに白い御飯も出してくれた(ちゃんと茶碗と箸もあるんだよね、これが)。

 そんなローラは後片付けも速い。食事が終わって汚れた皿はすすぎもせず、そのまま食器洗浄機にボンボン突っ込む。

 そして数分後、ジジジジ~とタイマーが切れる音がして洗い物は終わり。そのまま入れっぱなし。あとは機械の熱気で自然乾燥!

 だけどあまりちゃんと汚れが落ちていない皿もあるんだけど、ローラは細かい事は気にしない。

 鼻歌を歌いながら、そんな皿でもどんどん棚にしまってしまう。

 僕はそんなに綺麗好きではない方だと思う(だからと言って、無茶苦茶汚い訳じゃないよ!平均的な日本男児だと思っている)。

 でもそんな僕でも、自分の飲むジュースのコップは棚から出してから、もう一回手で洗ってた。なんかちょっと汚いんだよなあ~!

 日本人は世界で一番綺麗好きな国民なんだろうね。だから食器洗浄機は流行らないと思う。やっぱり手で洗った方がきれいだもんなあ~。

 でもこっちに住んでいると、そんな事も割と平気になってくる。

 日本人がセコセコして、神経質そうに見られるのは、こういう事があるからなのか、潔癖すぎるのかなあ?

カナダを走るイエローキャブ

 英語学校のクラスは、相当出来が悪くない限り、ひと月ごとに上のレベルに進級して行くシステムである。つまり理論上は一年近くいれば、一番上のレベル10まで進む事が出来る訳だ。

 出来る事なら僕もその学校でそのくらい勉強し、ペラペラと英語を使いこなせる様になりたかったんだけど、親が学費を全部払い、日本から毎月仕送りをしてもらっている様な金持ちのボンボン息子でもないし、エリートサラリーマンで、ウン百万の貯金を持って来た訳でもないので、僕は二か月間だけしか英語学校に行く事が出来なかった。

 僕はガキの頃から海外で住みたいという夢を常に思って生きて来た。大人になってからもそうだった。

 しかし実際は毎日の生活に流され、こんな僕でも将来の事なども考えだし、知らず知らずのうちに歳はとり、気付けば三十路手前。でも、

「まだ、間に合うよな。夢を夢で終わらせたくないよ~!」と思うのだが、結局最後はいつも、お金の問題でなかなか実行に移す事が出来なかった。 

 夢を叶えるのには現実問題として、やっぱりお金が必要なのである。

 貯金もほとんどない僕は、年齢の事もあるし、

「行くのは今しかないな、この機会を逃したら一生行けないかも知れない!」と自分に言い聞かせ、運送関係の仕事や、自動車工場で働き、少しばかりのお金を作りカナダにやって来た。

 まあ、辛い事は直ぐ忘れるいい?性格なので、とてつもなく苦労してお金を貯めてやって来た!という程の思いは自分では自覚しないけど、外国に住もうと思って来た割には、実際それでも足りなかったなあ。

 

 二か月目クラスのみんなは、順調にレベル2に進級した。しかしなぜか僕だけが飛び級してレベル3に行くことになった。

 一番最初のテストでレベル3になったけど、きつくてレベル1に落としてもらった。その時の記憶があったので、先生にまた言った。

「なぜ僕だけがレベル3なんですか?僕もレベル2でいいです!」(正直きついというだけじゃなく、みんなと同じクラスに行きたいと思ってたんだよねえ~)

「君なら大丈夫だ!レベル3でがんばりなさい」

 多分、ペーパーテストの結果が良かったのだろう(でも、テストと喋るのは違うからね)。

 先生は今回は望みを聞いてくれず、僕はしぶしぶレベル3に行く事になった。結果は新しい友達も出来たし、まあ良かったんだけど。

 

 そう言えばこの頃、カナダに来て初の映画を日本人の友達Tと見に行った。それは忘れもしない スターウォーズ~エピソード1”

 彼は僕より前にカナダに来てて、既に何回か映画を見に行っていた。

 映画館に着いてから、お決まりのポップコーンとコーラを買った。でも噂通り、これがデカイの何のって。

 コーラのLサイズは大ジョッキよりデカそう。ポップコーンのLサイズはもうバケツだ!

 でも僕はせっかくだからと思い、やめた方がいいと言うTの助言にも従わずLサイズのコーラを買って館内に持って行った。

 本編が始まる前、他の映画の宣伝やCM、もちろん英語で、見ている人もみんな外国人。

 当たり前なんだけど、なんか「カッコイー!」という感じ。

 その場にいる自分も、ホント外国に来たという感じがした(その土地の人と同じ事を共有すると、そう思うのかねえ~)。

 そして待ちに待って スターウォーズ が始まった。ジャジャジャ~ン!

 ここはカナダ。分かっちゃいるんだけど、目で探しちゃうんだよねえ~。

 字幕!

 たぶん二秒間ぐらい、僕の目はスクリーンの右隅と下の方をウロチョロしていた。やんなっちゃうよね。

 途中半分ぐらいのとこで、いつもはトイレがあまり近くない僕なのに、急に行きたくなった。やっぱりTの助言は聞くべきだった。

 あのコーラは多すぎるよ。カナダ人はよく、こんなの飲んでトイレ行きたくならないもんだ。

 映画自体は、あらすじは大体は分かったんだけど(まあ、前のスターウォーズ全部見てたからな~)英語はさっぱりだった。

 まわりのカナディアンが笑ったりするんだけど、何がおかしいのか全然わかんない。

 みんなと合わせて笑ってはいたけども......。

 それでも僕は、日本ではそんなに映画館に足を運んではいなかったんだけど、その後カナダに住んでいた間はかなり映画を見に行っていた。

 とにかく安いのだ!

 新作でも日本円で800円から1000円以内。半年くらい前のちょっと古い映画だと、300円以下で見れる所もある。

 日本の半額以下で見れるのだ、安いよね。日本は高すぎるよ。

 そんな手軽さから、よく一人でも映画館には行った。英語はなかなか難しくて、正直あまり解らないんだけど。

 でも一度だけこっちで日本の見た事があった。たしかカナダの映画祭で何かの賞を取った物だったかな?すごくいい映画だった。

 日本語なのでスクリーンには英語の字幕が出ていた。でも日本人しか分からない様な微妙な冗談はなかなか英語では伝わりにくい。

 その時ばかりは、いつもの逆で日本人の僕だけが分かりクスクスと笑い、まわりのカナディアンは「良く分からないなあ~」という顔をしていた。

「今までの仕返しだ!?ざまあみろ!」という感じ。

 ちょっと優越感にひたれたのである。

 

 安く映画を見れたり、映画祭があったりするだけではなく、ここトロントはちょっとした映画産業の街でもある。

 日曜日になるとダウンタウンでよく映画の撮影がある。

 道路を通行止めにし、沢山の撮影機材を積んだデカいトラックが道を占拠する。高層ビルが建ち並ぶビジネス街をニューヨークの街と見立てるのだ。

 ストリートには、ニューヨーク名物イエローキャブが何十台と停まり、地下鉄の駅名は ”フィフスアベニュー・53ストリート” と様変わり。新聞の販売機もトロントスターからUSAトゥデーに替えられる。

 ニューヨークを舞台にしたり、その街並みを使う映画は数多くあるけど、その殆どが実際にはニューヨークでは撮影されないらしい。

 なぜなら、道を通行止めにしたりする費用が、ニューヨークではすごく高いらしいのだ。だからわざわざ安く出来るカナダまで来て撮影する。

 トロントの街はニューヨークと同じ碁盤の目で、高層ビルも多い。この街を使ったニューヨークの映画はかなりあるという事だ。

 でも見てる人はなかなか、わかんないんだろう。

 たしかに日本に帰って来てから、テレビでニューヨークを舞台にした有名な映画を見ていて、ここ絶対トロントじゃん!というのはあったね。ホントの話!