行けたんだ! カナダ!!

~三十路兄ちゃんのカナダ生活日記~

多国籍授業(3)

 でもこのクラスは、とても楽しいクラスだった。

 僕を入れて三人の日本人、三人のブラジル人、それにスイス人、台湾人、韓国人と国際色豊かなクラスだった。

 レベルが低いせいもあり年齢も高めで、僕と同じ位三十歳前後だった。

 

 そのクラスのムードメーカーはブラジル人のレイモン。

 彼はブラジルの首都ブラジリアで政府関係のお堅い仕事をしているらしいんだけど(本当かなあ?)、本当おもしろい奴だった。アメフトの選手の様にデカイ彼は、悪ガキがそのまま三十超えた様な奴だ。

 毎日朝ラジオを聞いてから学校に来るらしく、毎朝僕に会うと聞いてもいないのに、その日のトロントの気温をアナウンサーの真似をしてデッカイ声で言ってくる。

「トロ~ノ~ イ~ズ トゥエンティ~ディグリ~ズ!」(ロッキーの ”エイドリア~ン” にちょっと似ている)。

 授業中ちょっと自分が暇だったり、面白くない時その「トロ~ノ~...」が始まる。

 Be動詞(英語でBe verb...ビーヴァーブ)の授業で先生が「~の時、ビーヴァ―ブはどう変化するでしょう?」と言うとすかさずレイモンは発音が似ていると、「ビーバー!ビーバー!」と歯を出して動物のビーバーの真似をして、先生を茶化す。しまいには、何処で買って来たのか胸に大きくビーバーの絵が描かれたTシャツを着て来て僕等を笑かしてくれるのであった。

 ブラジル人なのに日本のベタベタのお笑い芸人みたいな奴だ。先生はしょっちゅう怒っていたが、半分は一緒になって楽しんでいた。

  

 他のみんなも楽しくていい奴ばかりで、解らない事があるとお互いつたない英語で教えあったりした。それにみんなでご飯を食べに行ったり、飲みに行ったりした。先生とも行った。本当に仲の良いクラスだったよ。

 学校全体では、ブラジル、メキシコ、韓国、中国、スイス、ドイツ、フランス、日本など色々な国の人達が集まっていた。特に南米とアジアが多かったかなあ。 

 南米系の奴等は良く言えば明るく社交的で元気、悪く言えばとにかくうるさい。それに時間を守らない。待ち合わせしていても絶対その時間に来ない。しかも遅れて来たにも関わらず、全然悪びれない。もう時間感覚が違うんだろうね。

 アジア人の中では一番韓国人が多かった。日本人もそうなんだけど、韓国人も結構自分達で仲間作っちゃう。アジア人の特性だ。

 でも深く付き合うと結構いい奴が多い。

 韓国人は日本人と同じ様に何か暗黙の了解というものが、お互い分かる様な気がする。

 こっちがビールを注いであげたら、あっちも注ぎ返してくれるとか......ブラジル人には絶対いない(まあ 後でわかった事だけど、そういう文化が無いという事もあるんだけどね)。

 よく日本人、韓国人、台湾人、中国人、などでアジアンパーティーだあー!と飲んだものだ。

 周りにいるカナディアンはどう思ってたのかなあ?

「あれは日本人の集団か?それとも中国人?」

「いや、でもみんな英語話しているぞ、でも下手な英語だなあ~」

「一体、何人だ?」って。

 

 レイモンと台湾人のチュンチュンと僕とで日本食レストランに行った事もあった。僕とチュンチュンは、確かステーキ定食を食べた。その時レイモンは初めてだと言って、天ぷら定食。

 奴は天ぷらがとても気に入ったらしく、「ベリー グー!」を連発するんだけど何故かご飯は全部残していた。

 あのデカイ体で箸をうまく使ってコーラをガブガブ飲み、ちっちゃいエビの天ぷらを食べる様子は、不気味だったなあ~。

 

 授業は、先生が黒板に書いた物を生徒が黙々と写すというものではなく、生徒にかなり喋らせる。

 みんなでゲームをしながら遊んだり、たまに脱線してトロントでのおいしいレストランや流行っているクラブの話しになったり、スポーツの話しになったりする(トロントは、プロスポーツがいろいろと楽しめる街だ。冬はカナダの国技アイスホッケーのメープルリーフスがNHLに参加、それとNBAラプターズ、夏はやっぱりMLBトロント・ブルージェイズ)。

 先生も気さくで机の上に座り、足をブラブラさせながら授業をする人もいる。

 生徒もミネラルウオーターのペットボトルを机の上に置き、ガムを噛みながら先生の話しを聞く。

 学校内は全て禁煙なので、休み時間は学校の前の石段に座りながら、先生も生徒も一緒になってコーヒー片手にタバコをプカプカふかす。そのリラックスしている時、先生とカナダの暮らしについて青空の下で聞くのが、楽しかったりするのだ。

多国籍授業(2)

 学校に着いてまずクラス分けのテストを受けた。

 もちろん学校の案内や何もかもが全て英語。どこの教室でテストを受けるのか良く分からない。

 そこに日本人の男の人がテスト会場らしき教室に入って行くのを見かけたので思わず僕は彼を引き止めて、

「すいません、新入生のテストはこの教室ですか?」と日本語で聞いた。

「ゴメンナサイ、ボクハ二ホンジンジャナイデス!」

 そう、彼は韓国人であったのだ。

 まだカナダに来たばっかりの僕は、自分の英語力の無さからかアジア顔はみんな日本人に見えてしまい、助けを求めてしまった。

 長く住んでいると何となく分かるようになるが、最初は間違える事もあった。

 

 レベル分けテストの結果、僕はレベル3(最高はレベル10)に入った。自分自身で全然だめだと思っていたので、レベル3になってまあまあいいじゃんと思ってクラスへ行った。

 最初の授業......、僕はガクゼンとした。

 単語力や文法理解能力はみんな同じくらいなんだけど、とにかくみんな喋る喋る!!

 メキシコ人やブラジル人、それにドイツ人。

 文法的には結構メチャクチャなんだけど、なぜか話しているのである。だから先生もスピードを上げる。みんな結構理解している。僕はそのスピードに付いて行けなかった。

 休み時間直ぐ先生の所に行った。

「レベル3はきつすぎます、レベル1からやりたいんですけど。駄目ですか?」

「そうか分かった、でも君はレベル2でも大丈夫だよ!」先生はそう言ってくれるのだが、僕はレベル3でビビりまくっていたので、何とかレベル1にしてくれと何度も頼んだ。先生はしぶしぶ承知してくれた。

 

 そして僕は、幸か不幸かレベル1に行く事が出来た。そのクラスの内容ははっきり言って小学生レベル。

 最初の授業なんか、先生が教科書に出ている絵を指して「ホワッツ ディス?」みんなで「アップル!」

 まあ、ちょっと極端だけど限りなく真実に近い。

 文法ももちろんBe動詞から。こんなに英語ダメな僕でも、さすがにちょっとレベル落とし過ぎたかなあ?と思っちゃった。

 けどそんな授業でも、先生の言う事を100%理解出来るかと言うと、そんな事はない。時々何言っているのか解らなくなる。

 でも嬉しい?事にレベル1のクラスは、みんな解らなくなるから、安心する。先生が「みんな、わかった?」と聞くと、みんなで顔を見合わせて数秒後......「ウ~ン、NO!」という事が良くある。

 教科書に載っている内容は簡単なんだけど、その英語を英語で、しかも本場の発音で習うのが難しい(学生時代、おじいちゃん先生が言っていた、”ジス イ~ズ ア ぺ~ン” とは訳が違う)。

 宿題は毎日出された。

 問題文がダーッと書いていて、まずそれを訳すのに時間がかかる。それに言っている事、やる事は単純なんだけど、知らない単語が次々と出てくる。これをいちいち調べながらやるから非常に時間がかかる。問題も英語なので、その意味が解らなければ答えも書けやしない。

「形容詞」「現在進行形」「複数」、英語で何て言うかわかる?

多国籍授業(1)

 次の週から直ぐ学校が始まった。

 登校初日、ローラが一緒に学校まで付いて来てくれて、バスや地下鉄の乗り方、学校の場所を教えてくれた。

 バスや地下鉄の乗り方は、基本的には日本とあまり変わらないんだけど、多少違う所もある。

 バスを降りる時、日本ではボタンを押して「ビンポ~ン」と運転手に伝える。でもこちらでは、ボタンの代わりにバスの一番後ろから前まで伸びる長~いヒモが窓の上に付いていて、降りる時はそれを引っ張る(ちょっと原始的)。

 それにバスは次停まる所をまずほとんど言わない(地下鉄も時々言わないんだよね~)。もちろん日本みたく運転席の上に電光掲示板でご丁寧に ”次✖✖です” なんていう表示もない(実際その当時はそんな感じだったんだけど、現在はバスも地下鉄も電光掲示板はあるし、地下鉄は次の駅をアナウンスする)。

 朝近くのバス停から乗って、地下鉄の駅に行く時はみんな降りるのでいいんだけど、帰り地下鉄の駅から乗って、家の近くのバス停で降りる時が最初は少し焦った。暗い夜とかは、ちゃんと見ていないと乗り過ごす。何回か違うバス停で降りて歩いた事もあった。

 でもまあ、いつも乗る所はいいんだけど、初めての場所でバスに乗る時は特に注意。

 ドライバーの隣に陣取って、「✖✖に着いたら教えてえ~!」と一言いうべきかな。

 

 そう言えばこっちのバスの運転手はのんびりしているというか、何というか......。

 朝の通勤時はさすがに奴等もちゃんとしているけど、昼の運ちゃんは凄すぎる。

 何が凄いかというと、ガムをクチャクチャ噛むのは当たり前、紙コップのコーヒー片手に運転。偶然乗ってきた同僚とはペチャクチャ。

 始発のバス停で出発まで時間がある時は、客が座る席でホットドックを口いっぱいに頬張っている。でも乗って来たおばさんもそれを見て、

「あら~、お腹空いてたのね、ゆっくり食べなあ~」な~んて言っている。

 でもバスの運ちゃんはまだいい。

 トロントはストリートカー(路面電車)が街の至る所にはりめぐらされているんだけど、この運ちゃんがまたどうにもならない。

 ストリートカーは線路の上を走っているので、ブレーキとアクセルを踏むだけでいいからなのか(ポイントとかは、どうしているのかなあ?わからない)、たまに新聞や雑誌を読みながら運転している奴もいる。携帯電話は当たり前。

 ある日なんて、信号でもないのにづっと停まっていて、どうしたんだろう?と前を見ると運転手がいない!あれ~、どこ行ったんだあ~?

 数分後......、コーヒー片手に帰って来た。なんと!客が乗っているというのに、運ちゃんはコーヒーショップにコーヒーを買いに行っていたのだ!!

 客はいつもの事だよ、という顔で何も言わない。

 最初はなんじゃそりゃ~!と思ったけど、住んでいると僕も慣れちゃって「いつもの事だよ」という顔になってしまった。一種の洗脳かなあ~。

 

 ホントこっちの運ちゃんは、気ままというか......。

 でも、人間味があるんだよね。

 いつも同じ時間に乗って来る人には、「今日は元気ないねー、どうしたの?」と声をかけたり、運転席の近くに座っている人とは、運転しながら世間話したり。なんかいいんだよねえ~、おおらかなんだよねえ~。

十五階のリッチな生活(3)

 ~ある夜に起こった事件~

 

 トイレ、なんか紙つまっちゃった様だ。それに水の出る所もなんかおかしい。

 日本でも僕はたまにやった。

 その時は時間がたてば溶けて流れ出す、というのが良くあったので、ビスケットを食べながら願った(机の上にはビスケットが沢山入った缶が置いてある。僕が、夜お腹が減った時食べられる様にローラが置いてくれた。無くなると、いつの間にか補充してある。なんて優しいんだろう!)。

 三十分後恐る恐る見に行くと、まだ直っていなかった。このまま黙っている訳にもいかない。

 でもこういう状況を英語で何て言えばいいのだろう......?

 こまった!!

 僕は日本から持って来たホームステイの本や和英辞典を調べまくり、何とか文書を作った。そして勇気?を振り絞り、リビングで楽しくテレビを見てる二人に真実を告白した。

「すいません、なんかトイレが詰まっちゃったみたいなんですけど......」

「ほう、ほう」ラリーはゆっくりとソファーから立ち上がり、玄関の方に行った。

 彼はガサゴソと何かを探している様だった。暫くして帰って来た彼の手には、日本でも使う例のパコパコするやつがあった。

 カナダでも同じ物があるんだあ~!と変な事に感心してしまった。

 ラリーはそれを持って詰まったトイレに行き、日本でやるのと同じ様にパコパコやった。すると僕の心配をよそにトイレはドーッと勢い良く流れ、水のハンドルも問題なく動いた。 

 僕は「アイム ソーリー、サンキューベリーマッチ!!」を連呼した。

「心配しないで、そんな大した問題じゃないよ」とローラはニコニコしながら言ってくれた。

 壊れたらどうしよう、何て英語で言えばいいんだろう、といろいろ考え心配してた緊張から解放されて、僕は急にタバコが吸いたくてしょうがなくなった。

「ちょっと、タバコ吸ってきます(タバコは十五階から一階に降り外のベンチでいつも吸う)」と言った。

 二人は僕のそんな気持ちが分かったのか、顔を見合わせて、ワッハッハと大笑いになり、「ハバ グット スモーク!」と言って僕を送り出してくれた。

 ローラとラリーは本当暖かくて、いい人達だ。カナダの母さんと父さんだね~。

 

 

 

十五階のリッチな生活(2)

 次の日は、マザーズデイ(母の日......こっちにもあるんだよね)でボールドウィン夫妻と僕の三人は、ラリーの運転する車で息子さんの家に行った。

 ラリーはトヨタの古い中型車に乗っていた。家はあんなに立派なんだけど車はボロかった。でもラリーはその大きな体を小さなトヨタ車に押し込んで、日本車はいいと言っていた。

アメリカ車は直ぐ壊れるけど、日本車はなかなか壊れないから何年でも乗れるんだ」

「そうなんですか?」

 日本の事を褒められるとやはりうれしいもんだ。

 道路を走る車を良く見ると、日本車が結構走ってる。それに中型車や小型車が多く、ガソリンを食う大型のアメリカ車は最近は敬遠されてきているらしい。

 こっちでは車は単なる足、道具という感覚が日本より強いと思う。もちろん新車をいつもピカピカにしている若者もいるけど、結構ボロボロな車も走っている。

 いつだったか、車体の色は白なのに運転席側のドアが黄色で走っているボロボロのシボレーを見た。

「ドアくらい塗装しろよ!」一体どんな荒くれ物が乗っているんだろうと思って駐車場に停まったその車を見ていると、中からサングラスを掛けたブロンドヘアーの、足のスラーっと長いキャリアウーマン(映画に出てくるような)風の女の人が降りて来て、そのボロボロのシボレーの色違いのドアをドカン!と閉めて、さっそうと歩いて行った。

「私にとって車は、単なる通勤の道具よ。問題は中身ね!」とでも言っているような感じだった。

「いやあ~カッコイイねえ~」と見とれてしまった。

 

 ボールドウィン夫妻の息子は四十歳くらいで、優しそうな奥さんとかわいい小学生くらいの子供が三人いた。

 みんなでバーベキューをしてビールやワインを飲み楽しんだ。

 ローラはみんなの話しを僕に解るようにゆっく~り通訳?してくれるのだが、それも良く解らない。僕はただニコニコ愛想を振りまくだけで、カナダに来てまだ二日目という事もあり、ほとんど何も喋る事が出来なかった。

 少しでも何かを言おうとすると、それについて何倍にもなって返ってくる。けどほとんど何言っているのか解らない。情けない話しだ。

 一対一だったら何とか身振り手振りで少しかは解るんだけど、多数相手だとお手上げなんだよねえ~。

 でも一番下の男の子が、僕の持ってきた竹トンボをえらく気に入ったらしく、飛ばし方を教えてあげて一緒に遊んだのは楽しかった。

 しかしあんな小さな彼でもさすがカナダ人。

 英語の発音は完璧(LとRの発音 thの単語、うまい!)、ペラペラと英語を話すのであった。 恐るべし!!

 

十五階のリッチな生活(1)

 まずカナダでの最初の生活は二か月間のホームステイと英語学校である。日本で旅行会社を通して頼んであったものだ。

 僕のステイ先は郊外の閑静な住宅街といった感じの場所にある三十階建ての高級コンドミニアム。地下にはプールやジムやビリヤード場があって、住民は年配の人が多かった。

 仕事を退職して悠々自適な生活をしている人達が住むような高級マンションといった感じ(あとから友達のステイ先をいろいろ聞くと僕の例は特殊で、みんな結構普通の労働者の家という感じだった。本当ラッキーだった)。

 そこの十五階のボールドウィンさんという夫婦の家にステイした。

 

 彼等は本当に気さくでいい人達だった。

 お父さんのラリーは190センチくらいある大きな人で、足長おじさんといった感じの優しいカナダ紳士。前はどこかの社長だか会長だかをしてて、定年後の今はゆっくりと生活している。 

 お母さんのローラはカナダの上品なおばさんといった感じの人なんだけど、とてもバイタリティーがあり毎朝下のプールで一時間泳ぎ、午後は毎日の様にラリーと数時間の散歩に出かけ、週数回地元の大学に勉強しに行っていた。二人で良く映画やミュージカルを見に行ったりもしていた。

 すごく親日家で今まで何度も日本人をステイさせた事があると言っていた。

 

 ホームステイ初日は家の中や僕の使う部屋や、風呂場・トイレ(僕専用)等の説明をいろいろしてもらった。けど実際半分も理解出来なかったと思う。

 まあ、同じ人間だからお互い身振り手振りで......。

 部屋数は少ないんだけど。広い!

 二十五畳くらいのリビングと二人の寝室十五畳、それに僕が使うセミダブルベットが二つ入っている十二畳くらいのゲストルーム。それに八畳くらいのキッチンにトイレとバスが二つずつ。

 実家の一軒家の倍くらいあったりして、広い!

 

 こう説明するとすごく贅沢三昧で暮らしているように思うけど、中身は意外に質素である。

 テレビやステレオや洗濯機(デカイ!冗談抜きで日本の倍くらい)等の電化製品は二十年くらい使っているんじゃないかと思われる代物だったし、ソファー(これもデカイ!座る部分の奥行きがあって、短足の僕が座ると足が地面に届かず身動きが取れない)や本棚等の家具類も年期が入った物ばかりだった。永く大事に使っているという感じだ。

 でもたまにお客さんが来ると、ここぞとばかりに高価な銀のナイフやフォーク、キャンドル立てを用意する。

 金持ちというんじゃなくて、スマートな生活という感じだ。

 

 ボールドウィン夫妻とはその日いろいろな話をしたが、最初ホントに何言っているのか解らなかった。

 それでもローラとラリーは、僕に解るようにゆっくりゆっくり話してくれた。たまには紙に書いたりして......。

 

 その日は長旅の疲れと英語の疲れで、初めてのベットにも関わらずぐっすり眠った。

アメリカ大陸上陸(2)

 五年ぶり二度目の外国、初めてのカナダ、とうとう来てしまった。

 第一関門の悪名高き異国での洗礼 ”税関” では予想通り? 何を言っているのか良く解らない事もあったけど(というかほとんど解らなかったかな~)、まあ何とか無事通過した。

 到着ロビーに出ると、外国の匂いがした。

 カナダはフランス語も話されていると聞いていた通り案内の表記は英語とフランス語の両方が書かれている(ケベック州だけはフランス語が第一公用語で英語が第二公用語といった感じ。他の州は逆で英語の次にフランス語なんだけど、公の看板や商品の説明書はほとんど両語表記である)。

 空港内はもちろん外国人ばっかり、外に停まっている車は外車、犬までもが英語を話せそうだ。

 

 白人のおじさんが僕の名前を書いたボードを持って立っていた。僕は直ぐにその人に気付き、近づいて行った。

「はじめまして、それは僕です」 

「ようこそカナダへ、後でちょっと待っててくれないか」

 おじさんは素っ気なくそう言い、また誰かを探していた。彼は英語学校の人らしく、また違う名前のボードを持って立っていた。

 四人の日本男児が集まったところで彼は「さあ、行くぞ!」と言い、僕達は彼の車に乗った。どうやら一人ひとりホームステイ先に連れてってくれるらしい。

 他の三人はどう見ても僕より若い、二十代前半だ。端正な顔立ちと服装。僕はと言えば、お世辞にも端正とは言えないいかにもアジア人のノベ~っとした顔と、ジーパンにウインドブレーカーのダサい格好。おまけに三十路直前ときてる。

 カナダに来るのは、彼等のような若い人が多いのだろうか?

 自分では余裕で若いつもりなんだけど、正直この歳でこんな事やってて良いのだろうか......。

 今まさに始まったばかりのカナダ生活なのに、そんな事を考えてしまった。

 

 僕達四人はお互い日本人で、言葉は通じる筈なんだけど、長旅の疲れや異国の地での緊張、それにもちろん白人のおじさん含めて全員初対面だという状況で、車内は沈黙の嵐。

 おじさんも最初一言二言僕達に声をかけていたが、英語が良くわからないのか、ただ相づちを打つだけの愛想の無い日本人に諦めて携帯電話をかけだした。

 もしも僕が英語話せたら、白人のおじさんも巻き込んでワイワイガヤガヤ楽しいドライブに出来るのになあ~! と思った。けど、たどたどしい英語でも僕は話すべきだった。

 一番年上だし~。 

 でも結局僕も他のみんなと同じで、日本人がいる中で下手な英語を話す事が恥ずかしくて出来なかった(ホント日本人の悪い所だよねー)。

 

 車は一軒一軒それぞれのホームステイ先を回った。普通のカナディアンの一軒家だ。思っていたよりもそんなに大きな家ばかりじゃなかった。

 一人ひとり降りて行き、残すは僕の家だけとなった。僕は一体どんな家なんだろうとワクワクドキドキしていると、車は三十階はあるだろう高級高層マンションに近付いて行く。 

 そして守衛所を通り大きな二棟の建物が建っている広い敷地内に入って行った。

「もしかして、ここが僕の家?」恐る恐る彼に聞いた。

「イエ~ス!お前はラッキーだな」

 彼は入口で何かのボタンを押し、僕をエレベーターの前まで連れて行ってくれた。

「部屋番号は1505番。それじゃな!」そう言って彼は帰って行った。

 

「ヒエー、マジかよ!!」

 目が丸くなった。こんな立派なマンションが僕のステイ先だなんて、何かの間違いじゃないのか?

 ロビーは高級ホテルの様だった。日本で住んでいた45000円の安賃貸マンションのオンボロ自転車が並ぶロビーとは大違いだ。

 ビビりながらエレベーターに乗り1505号室に行きチャイムを鳴らした。中からはすごく優しそうな顔をした白人の大きなおじさんが出てきた。

「はじめまして!」

「よく来たね~、長旅で疲れただろう、まあとにかく入りな」と僕の荷物を持ってくれた。直ぐに奥さんも僕の後ろから来て、

「今、下まで迎えに行ったのよ。行き違いだったわね」というような事(たぶん)を言って家の中に入って来た。

 そして彼女は大きな声で、”ウェルカム トゥー カナダ!!” と言い僕を広いリビングに招いてくれた。

 

 こんなにも暖かい歓迎を受けて、僕のカナダライフはスタートした。