行けたんだニューヨーク(1)
ホームステイでの生活、学校生活、スーパーでの買い物、交通機関、街の様子などだいぶ慣れてきた。
基本的には日本とそう変わらないんだけど、少しずつ違ってたりして、たまにガツーンとくる。
でもやっぱり問題は英語だなあ~。言っている事が所々わかんない、その所々が結構大事だったりする。頼むから余計な事言わないで、こっちが聞いた事に「Yes」か 「 No」だけで答えてくれえ~!(これ、分かる人にはわかるだろうなあ!)そう思う。
カナダは移民の国だ。以前、全人口の内カナダで生まれた人が50%を切ったという発表があった。つまり国民の半分以上が他の国で生まれ、その後カナダに来てカナダ人になった移民だという事になる。
であるからして、街を歩いている人々の顔の色も様々。英語を話す力も様々。
白人だからといって英語をうまく話せると決めつけては駄目。その人は今年移民になったばかりのフランス人かも知れない。
アジア人ぽい顔をしているからって英語が下手とは限らない、その人はカナダで生まれた中国系二世のカナダ人かも知れない。
だから昨日カナダに着いたばかりの人も街に直ぐ溶け込んでしまう。いいと言えばいいんだけど、困る事もある。
例えば日本の街で白人の人に日本語で道を聞かれたら、たぶん日本語は上手じゃないとこっちが勝手に判断して、ゆっくり分かり易く話すだろう。
しかしこっちでは違う。僕の様な、どこをどうひっくり返しても生粋のアジア顔の人間が道を聞いても、こっちの人間は何人だろうとここはカナダ、普通に英語を使えるだろうと判断して、自然なスピード(僕にとってはスーパー高速回転)で答えてくれる。
それがカナダに来たばっかりの僕にとっては全然訳が分からんのである。
取りあえず分かった様なふりをして、「じゃ、バ~イ!」と別れるがその後また迷う。道を聞いて道に迷った事が最初何度もあった。
それ程最初は英語がまったく駄目だった(今もだめか!)。
そういう頃学校の掲示板で ”ニューヨークバス旅行” のチラシを見た。
僕の通っていた英語学校では毎週末、アクティビティープログラムというのがあって、ある週は二泊三日のモントリオールツアーとか、またある週は一泊二日でナイアガラの滝ツアーなど、安い料金で学校が小旅行を企画していた。
僕はそのチラシを見た瞬間、もう行きたくて行きたくてたまらなくなった。
あの憧れのニューヨークである。
300ドルで値段も安いと思った。早速僕は同じクラスの日本人の友達Mちゃんをそそのかし?行くことにした。
説明会があるというので、その教室へ行った。いろいろなレベルのクラスから集まった国際色豊かな生徒達が沢山来ている。
説明会での先生の言葉のスピードはナチュラルだった。ネイティブの人が聞けば、とてつもなく分かり易く聞こえるかも知れないが、少なくともレベル1の僕達からすればハイスピードだ。分からない単語や聞き取れない言葉がいっぱいあった。
でも生まれて初めての、外国人による外国人のための外国人の旅行、おまけにパスポートを持って国境まで越えるので、「よくわかんな~い!」という訳にはいかない。
アクティビティーティーチャー、ブライアンの一方的な説明が終わってから、僕等は彼の所へ紙とペンを持って行き、集合場所や必ず持って行かなければならない物等を、もう一度聞き直しメモした。
ホント不安だったからね。
金曜日の夜学校前で集合し、世界中から英語を学びに集まった生徒達を乗せた二台のバスは、カナダのトロント市から一路、アメリカ合衆国のニューヨーク市に向けて出発した。
バスは日本の観光バスより一回り大きく、席もゆったりしていて一番後ろにトイレもあり、いかにも外国のバスという立派な物だった。
トロントからニューヨークまでは、途中ナイアガラでの入国審査とトイレタイムを経て約十時間ちょっとかかる。
日本からニューヨークへ行った時は、飛行機で十二時間。ここトロントからはバスで十時間。因みに飛行機では一時間ちょっとで着く。あの憧れのニューヨークがこんなに近いのだ。
本当にアメリカ大陸に来たんだなあと、この時程実感したことはなかった。
ニューヨークには朝早く着く。バスの中ではゆっくり寝ましょうという事だ。夜の十二時を過ぎた頃、バス内の照明が消された。
さ~て、明日も早いから、寝る体勢に入るか。と目をつぶるが、これが全然眠れないのである。
憧れのニューヨークとの再会を思うと興奮して目が冴えてしまう......。な~んて事なら理解はするが、現実は違った。ただ単にうるさいのだ!
犯人は南米系の奴等だった。かかっているFMラジオと一緒に大騒ぎして歌っているのだ。本当ブラジル人には困ったもんである。
でもバスの照明を消したにも関わらず、ラジオを普通のボリュームでかけているブライアンにも問題があった。隣にいるMちゃんも怒っていた。
Mちゃんは、ニューヨークにはあまり最初興味がなかった。でも、僕と英語学校などの手続きをしてくれた旅行会社が同じだった事、クラスも同じになった事で友達になり、今回の旅行に付き合ってくれた。
彼女はマイペースなおっとり型、ちびまる子ちゃんの様な喋り方をし、最初とても海外で一人で生活するとは思えない様な人に見えた。
トロントに着いて直ぐ、その旅行会社の説明会があって、そこでいろいろな書類を書いた。
出生地を書きなさいという欄があり、彼女は何かを迷っていた。事務所の人(日本人)が
「Mさん、何迷っているの?ただあなたの生まれた場所を書けばいいのよ!」と、つっけんどんに言った。Mちゃんはまだ何かを迷っていた。その人は、いらいらしだし彼女に詰め寄った。
「だから、あなたは何処で生まれたの!」
Mちゃんは大きな声で言った。
「病院です!!」
まわりの人間、僕を含めて5、6人は全員初対面なので笑うに笑えず、みんな必死にこらえていた。
そりゃあ、ほとんどの人間が病院で生まれただろう。今どきお産婆さんが家に来たという話しは、聞いた事がない。でも出生地に病院と書く人もまずいないだろう。
Mちゃんとの出会いは、それが初めてだった。
そんなMちゃんが、スタスタと前の席に座っているブライアンの所に行った。文句を言いに行ったのだ。その後ラジオは消され、ブラジル人も静かになった。
人は見掛けによらないなあと思った。女は強しである。
ワーキングホリデーの70%は、女性だという。それも何かうなずける。
男性諸君、お互い頑張りましょう!