行けたんだニューヨーク(3)
次の日の目的は、ミュージカルを見る事だった。とは言っても有名なブロードウェイではなく、オフ・ブロードウェイでやっている "Blue Man Group...Tubes" だ。
このミュージカル(というかショーかな)は、全身青一色に塗った三人の男達が、言葉を一言も発せず、いろいろなパフォーマンスを繰り広げるという物だ。
前回ニューヨークに来た時いろいろなミュージカルを見たが、僕が一番印象に残っていたのがこれだった。今度来る事があったら、絶対また見ようと心に誓ったものだ。
このショーはその当時でもう十年近くロングランで、ニューヨーカーの間でもかなり人気のあるショーだ。
当日では、なかなか難しいかなと思ったが、直接電話で劇場に聞いてみた。僕のこの英語力で、しかもここニューヨークで通じるかな?と不安に思ったが、何とかなり(虎の巻を見ながらだったけど)、チケットを手に入れる事が出来た。
やっぱり人間本当に欲しい物がある時は、火事場の馬鹿力が働き、なんとかなるもんである。やれば出来るじゃん!
会場は満席でこのショーの人気をうかがわせる。内容は前回とほとんど同じだったが、何回見ても楽しく、おかしく、ちょっぴり怖い。
でも何が何と言っても一番おかしかったのが、何とMちゃんがブルーマンに連れて行かれた事である。
何も知らない彼女は、ホント泣きそうな顔をしていた。悪いとは思ったが知っている僕は大爆笑。
これ以上説明すると、アスタープレースシアターの人に営業妨害で訴えられるので、やめよう!?
もしニューヨークへ行く人がいたら、このショーは是非見てもらいたい。良くも悪くも一生忘れられないミュージカルになる事間違いなし。僕もまたニューヨークへ行く事があれば必ず見ようと思っている。
その後街をうろうろ歩き、ジャズライブを一つ見て、昨日行った店にまた行った。
カウンターの中にいるTシャツにジーンズ、モデルの様に目鼻立ちのはっきりした、かっこいいアメリカン姉ちゃんバーテンダーモニカは、僕の事を覚えていてくれて、
「ハイ! 今日も来たのね~」と笑顔を振りまいてくれた。内心、たぶん僕より年下なんだろうなあ、とちょっと落ち込みつつ僕も「ハイ!」と愛想を振りまいた。
その日はライブをやって無く、昨日とは打って変わって静かなバーに変身していた。
隣に座っていた白人の男が話しかけてきた。この店はフレンドリーな客が多い。いい店だ。
「どこから来たの?」
「カナダから来たんだけど、カナダも日本から来たばっかりなんだ」
「ニューヨークは好きかい?」「大好きです!」(冒頭は、いつも同じ)
その後もニューヨークの話、音楽の話、いろいろな話で盛り上がった。
僕は自分でも信じられない程英語を話していた。酒が入ると脳味噌の回路が、英語に切り替わるのかなあ?
彼はニューヨークでサウンドエンジニアをしていて、なんと、初対面の僕に今度また来た時は連絡しなと、電話番号とメールアドレスを教えてくれた。おまけに最後ビールまでおごってもらって。感謝感激だ!
なんか昼間は殺伐とした人が多かったが、夜はいい人達と出会えたなあ。
やっぱりニューヨークは最高だ。I Love NY !!
でもトロントに帰ってから友達にこの人の事を話したら、「それゲイじゃないの?」とあっさり言われてしまった。実際はどうなんでしょう?
ホテルの部屋はツインなのに、四人で泊まるというせこい部屋割りだった。
僕とブラジル人、メキシコ人、ドイツ人だった。三人とも二十歳そこそこという感じだったが、話しを聞くと学校でのレベルは7,8,9。僕はレベル1。
ベット二つに、もう一つ簡易ベット、そしてあと一人は床に寝なければならない。
僕は毎晩飲みに行って遅く帰って来ていたので、三人の勝手な話し合いにより、僕は床に寝るはめになってしまっていた。
朝起きると三人はコソコソと話しをしている。薄目を開けて聞いていると、
「変なアジア人だよな、英語全然喋れないくせに、遅くまで酒飲みに行って。多分あいつはアル中だよな!」
「いびき、うるさかったよなあ、面白い顔してるから写真撮っちゃえ!」と、眠っている僕にシャッターを切ってケラケラ笑っている。
本当に悔しかった。でも英語で何て言い返していいか分からなく、何も言えなかった。情けなかった。
僕は、眠ってて何も知らなかったという様な振りをして、ムクムクと起き上がり、
「モーニン」と言って、さっさとシャワーを浴び部屋を出た。
その時は、本当に情けなかった。
楽しかったニューヨーク、大好きなニューヨークで、何でカナダの英語学校に来ている田舎者のブラジル人に馬鹿にされなければいけないのか?
日本人だから?アジア人だから?英語が喋れないから?本当に悔しかった。
部屋を出て直ぐ、知っていた韓国人がいた。そんな後だったから僕はアジア人同士親しみを感じまくって、満面の笑顔で、「Hi, How are you ?」とハグ寸前で挨拶してしまった。
出発までに時間があったので、ロビーでコーヒーを飲んでいた。そこにあの小さな巨人ブライアンがやって来た。
今回のニューヨーク旅行、最初は300ドル安いと思ったが、食事は何一つ付いてないし部屋は最悪だし、ちょっと文句を言おうと思い、ブライアンに言った。
すると彼にしてみれば解り易い英語で、いろいろと学校の事情などを説明してくれた(と思う!)。でも、僕にはほとんど理解出来ず、いいだけブライアンが喋った後で、
「I don't understand !」と元気に言った。
彼は一瞬「エッ!?」という顔をし、君はレベル何?と聞いてきた。
ニッコリ僕は「I'm Level 1 !!」
ブライアンは、「Oh my God !!」と言って頭を抱えていた。そこまで言わなくてもいいだろうと思ったが、生 ”オーマイガー” を初めて聞けたので、まあいいや。と訳のわからん解釈を自分で勝手にして、席を立った(そんな脳天気な僕である!)。
バスはニューヨークを後にし、一路トロントに向けて出発した。
行けたんだニューヨーク(2)
朝方、目を覚まし窓から外を見ると、遥か遠くの方にあの摩天楼が淡く見えて来た。
ニューヨークだ!! 子供の頃からの、あの憧れの街ニューヨーク。
「また会えた、5年ぶりに帰ってきたよ!」そんな気持ちだった。
バスは世界の中心ニューヨークへ向かって、まるで吸い込まれるかの様にマンハッタンへ入る橋を渡って行った。
その日は午前中、全員での観光ツアーだ。小さなブライアン(彼は130センチくらいの身長なのだが声は人一倍でかく、面倒見のいい兄貴肌のちょっとビリー・ジョエル似のカナダ人だった)に続き数十人の世界のお上りさんが、ぞろぞろとニューヨークの街中を歩いた。
ブライアンは時々みんなを集めて建物の説明や、ニューヨークの歴史を話してくれて、みんなは結構「へえ~」とか言って聞いていたが、悲しいかな僕はほとんど理解出来なかった。
その後希望者は「✖✖ツアー」「**ツアー」に参加出来るのだが、僕は二回目だし、小学生の頃からニューヨークおたくで、大体の地理は把握していたので、Mちゃんと自由行動をとる事にした。
マンハッタン島を地下鉄に乗ったり、歩いたりしながら、前回行けなかった場所に行った。
グランド・セントラル駅、クライスラービル、タイムズスクエアー......。
ニューヨークで当時一番高いビルはワールド・トレード・センタービル。420メートル、110階建て。前回二番目に高いエンパイア・ステートビルには上ったので、今回はこっちに上ろうと思った。
屋上まで行き、街を見た。人々はありんこ、車はミニカーだ。全てがおもちゃの様に見える。まるでちょっとした山から街を見下ろしている様な物だ。
そのニューヨークで一番の高いビルから、世界一の街を見て、
「よーし、カナダでがんばるぞー!英語がんばるぞー!」と自分に気合を入れたものだった。
けどまさか、このビルがこの世から消えるとは、その時は思ってもみなかった。
忘れもしない2001年9月11日、ワールド・トレード・センターは崩壊した。世界で一番大好きな街、そして自分が上ってその屋上でパワーをもらったビル。本当に本当にショックだった。
ニューヨークで人に尋ねたり、地下鉄の駅で駅員に聞いたり、ニューヨーカーと少しは話しはしたが、カナダと違って人々がちょっと冷たいなあという感じがした。
トロントでは道を聞いても、笑顔でいろいろ親切に教えてくれる。しかしここニューヨークでは違う。みんな自分の事で精一杯。
「お前のことなんて、しらね~よ!!」という雰囲気がある。正直ショックだった。というより、本当のニューヨークを少し思い知らされたんだろう。
前回日本から来た時は、行く所も前もって決まっていたし、ほとんど常に団体で、ガイドの人が通訳してくれるという旅だったけど、今回は着いてから自分で行く所を決め、勝手に行動していた。だから英語を話す事も多くならざろう得なかった。
自分の口で自分の言葉で話し、自分の足で行動しなければ、その土地を本当の意味では理解した事にはならないんじゃないかなあ。
その後はソーホーやグリニッジビレッジなどを歩き、ホテルに戻った。
夜、好きなサックス奏者が近くのジャズクラブに出てると情報誌で見て、どうしても行きたくなり、再び僕は一人でホテルを抜け出した。
ホテルから何とか歩いて行ける距離だろうと思い暫く歩いた。しかし目指す店は一向に見つからず、暗い道に迷い込んでしまった。倉庫群の様なところで、
「よく、映画ではこういう所でギャング同士が撃ち合いをするんだよなあ~」とのんきに考えていたら、前から4,5人の不良っぽいデカイ黒人が歩いて来た。
「やばい!」と思い僕は、いかにも道を間違えた様な素振りをして、すかさず回れ右をし、横道にそれた。
奴等もしかして銃を持っていたかも知れないし、用心に越したことはない(考え過ぎか?)。
いやあ~やっぱりニューヨークは怖い......。
ちょうど横道にそれた所にその店はあった。
トロントでもそうなんだけど、ジャズクラブという物は、少々治安の悪い所にあるもんである。でもそういう所に一流のミュージシャンが来ていたりするもんだ。
店に入ると既に結構混んでいた。僕はカウンターに座って、ハイネケンを頼んだ。
ステージが始まった。久々に楽しいジャズを聴いた感じがした。お客さんもまたいいんだなあ~、これが。黒人白人入り混じって、ノリがいいのである(アジア人は僕一人)。
ピーピー、キャーキャー、イエーイイエーイ!!
休憩時間に、僕の隣に座っていた ”アメリカの母” の様な太った黒人のおばさんが話しかけてきた。
「あんた、どこから来たの?」
「カナダのトロント。でも最近日本から来たばっかりなんです」
「カナダか、いい国だね~。ニューヨークは好きかい?」
「大好きです! いつか住みたいと思う。でもちょっと怖いなあと思う所もあるよね」
おばさんは、少しさみしそうな顔をしたが、直ぐに僕の目を真っ直ぐに見て笑顔で言った。
「ニューヨークは、最高な街だよ。怖くなんかない。あたしも大好きだ、いい音楽もいっぱいあるしね」
「明日この街を歩く時、俺はニューヨーカーだと思って胸を張って歩いてごらん、その時からあなたも立派なニューヨーカーになれるから!」
「そうだね。ありがとう!」
その ”アメリカの母” から、ニューヨークから、おっきなパワーをもらった様な気がした。
よっしゃー!!
行けたんだニューヨーク(1)
ホームステイでの生活、学校生活、スーパーでの買い物、交通機関、街の様子などだいぶ慣れてきた。
基本的には日本とそう変わらないんだけど、少しずつ違ってたりして、たまにガツーンとくる。
でもやっぱり問題は英語だなあ~。言っている事が所々わかんない、その所々が結構大事だったりする。頼むから余計な事言わないで、こっちが聞いた事に「Yes」か 「 No」だけで答えてくれえ~!(これ、分かる人にはわかるだろうなあ!)そう思う。
カナダは移民の国だ。以前、全人口の内カナダで生まれた人が50%を切ったという発表があった。つまり国民の半分以上が他の国で生まれ、その後カナダに来てカナダ人になった移民だという事になる。
であるからして、街を歩いている人々の顔の色も様々。英語を話す力も様々。
白人だからといって英語をうまく話せると決めつけては駄目。その人は今年移民になったばかりのフランス人かも知れない。
アジア人ぽい顔をしているからって英語が下手とは限らない、その人はカナダで生まれた中国系二世のカナダ人かも知れない。
だから昨日カナダに着いたばかりの人も街に直ぐ溶け込んでしまう。いいと言えばいいんだけど、困る事もある。
例えば日本の街で白人の人に日本語で道を聞かれたら、たぶん日本語は上手じゃないとこっちが勝手に判断して、ゆっくり分かり易く話すだろう。
しかしこっちでは違う。僕の様な、どこをどうひっくり返しても生粋のアジア顔の人間が道を聞いても、こっちの人間は何人だろうとここはカナダ、普通に英語を使えるだろうと判断して、自然なスピード(僕にとってはスーパー高速回転)で答えてくれる。
それがカナダに来たばっかりの僕にとっては全然訳が分からんのである。
取りあえず分かった様なふりをして、「じゃ、バ~イ!」と別れるがその後また迷う。道を聞いて道に迷った事が最初何度もあった。
それ程最初は英語がまったく駄目だった(今もだめか!)。
そういう頃学校の掲示板で ”ニューヨークバス旅行” のチラシを見た。
僕の通っていた英語学校では毎週末、アクティビティープログラムというのがあって、ある週は二泊三日のモントリオールツアーとか、またある週は一泊二日でナイアガラの滝ツアーなど、安い料金で学校が小旅行を企画していた。
僕はそのチラシを見た瞬間、もう行きたくて行きたくてたまらなくなった。
あの憧れのニューヨークである。
300ドルで値段も安いと思った。早速僕は同じクラスの日本人の友達Mちゃんをそそのかし?行くことにした。
説明会があるというので、その教室へ行った。いろいろなレベルのクラスから集まった国際色豊かな生徒達が沢山来ている。
説明会での先生の言葉のスピードはナチュラルだった。ネイティブの人が聞けば、とてつもなく分かり易く聞こえるかも知れないが、少なくともレベル1の僕達からすればハイスピードだ。分からない単語や聞き取れない言葉がいっぱいあった。
でも生まれて初めての、外国人による外国人のための外国人の旅行、おまけにパスポートを持って国境まで越えるので、「よくわかんな~い!」という訳にはいかない。
アクティビティーティーチャー、ブライアンの一方的な説明が終わってから、僕等は彼の所へ紙とペンを持って行き、集合場所や必ず持って行かなければならない物等を、もう一度聞き直しメモした。
ホント不安だったからね。
金曜日の夜学校前で集合し、世界中から英語を学びに集まった生徒達を乗せた二台のバスは、カナダのトロント市から一路、アメリカ合衆国のニューヨーク市に向けて出発した。
バスは日本の観光バスより一回り大きく、席もゆったりしていて一番後ろにトイレもあり、いかにも外国のバスという立派な物だった。
トロントからニューヨークまでは、途中ナイアガラでの入国審査とトイレタイムを経て約十時間ちょっとかかる。
日本からニューヨークへ行った時は、飛行機で十二時間。ここトロントからはバスで十時間。因みに飛行機では一時間ちょっとで着く。あの憧れのニューヨークがこんなに近いのだ。
本当にアメリカ大陸に来たんだなあと、この時程実感したことはなかった。
ニューヨークには朝早く着く。バスの中ではゆっくり寝ましょうという事だ。夜の十二時を過ぎた頃、バス内の照明が消された。
さ~て、明日も早いから、寝る体勢に入るか。と目をつぶるが、これが全然眠れないのである。
憧れのニューヨークとの再会を思うと興奮して目が冴えてしまう......。な~んて事なら理解はするが、現実は違った。ただ単にうるさいのだ!
犯人は南米系の奴等だった。かかっているFMラジオと一緒に大騒ぎして歌っているのだ。本当ブラジル人には困ったもんである。
でもバスの照明を消したにも関わらず、ラジオを普通のボリュームでかけているブライアンにも問題があった。隣にいるMちゃんも怒っていた。
Mちゃんは、ニューヨークにはあまり最初興味がなかった。でも、僕と英語学校などの手続きをしてくれた旅行会社が同じだった事、クラスも同じになった事で友達になり、今回の旅行に付き合ってくれた。
彼女はマイペースなおっとり型、ちびまる子ちゃんの様な喋り方をし、最初とても海外で一人で生活するとは思えない様な人に見えた。
トロントに着いて直ぐ、その旅行会社の説明会があって、そこでいろいろな書類を書いた。
出生地を書きなさいという欄があり、彼女は何かを迷っていた。事務所の人(日本人)が
「Mさん、何迷っているの?ただあなたの生まれた場所を書けばいいのよ!」と、つっけんどんに言った。Mちゃんはまだ何かを迷っていた。その人は、いらいらしだし彼女に詰め寄った。
「だから、あなたは何処で生まれたの!」
Mちゃんは大きな声で言った。
「病院です!!」
まわりの人間、僕を含めて5、6人は全員初対面なので笑うに笑えず、みんな必死にこらえていた。
そりゃあ、ほとんどの人間が病院で生まれただろう。今どきお産婆さんが家に来たという話しは、聞いた事がない。でも出生地に病院と書く人もまずいないだろう。
Mちゃんとの出会いは、それが初めてだった。
そんなMちゃんが、スタスタと前の席に座っているブライアンの所に行った。文句を言いに行ったのだ。その後ラジオは消され、ブラジル人も静かになった。
人は見掛けによらないなあと思った。女は強しである。
ワーキングホリデーの70%は、女性だという。それも何かうなずける。
男性諸君、お互い頑張りましょう!
バーボンは難しい(2)
僕はタバコも好きだけど、酒も大好きだ!(て書いたら酒乱みたいだけど、そんな事ありません、タバコは今は完全に愛禁煙家!!)。
日本にいた時は、自慢する事ではないが、毎日寝酒を飲んでいた。一年の内、全く飲まない日は十日位だ(おもに二日酔いのため......そういう時は二度と酒飲みたくなくなるんだけど、また飲んでしまうんだよなあ~)。
カナダに来てのホームステイ、最初の二週間は家で酒を飲むという雰囲気でもないし、外で飲むといっても全然分からないし、英語喋れないし、ホント飲んでなかった。
肝臓にとってはこんなに素晴らしい時期はなかったと思う!?
しかしその後友達も出来て、外で飲む事を覚えてしまったのだ。飲ん兵衛は何処に行っても酒を飲もうとするもんである。
日本では、アメリカのバーボンウイスキーを好きでよく飲んでいた。
僕が酒を飲みだした頃、日本ではバーボンブームで、どこのバーへ行ってもアメリカのバーボンがカウンターにずら~っと並んでいた。
それを飲もうとするんだけど、タバコ同様カナダのバーではアメリカの酒が無いのである。
それに何度言っても、その ”バーボン” の発音が通じないのである。これは以前ニューヨークに行った時もそうだったので、残念ながら僕の発音が悪いのだろう。
”バーボン” ”ヴァ―ボン” ”ボアーブン” ”バーRボン” いろんな風に言っても、「わかんないなあ~......」という顔をされてしまう。
一度、英語学校の先生にその事を言って、練習をした。その練習の時は、カナダ人の先生はOKを出してくれるんだけど、本番ではなかなか通じなかった。
もう面倒くさいので、”アメリカンウイスキー”と言ったら理解してくれたので、その後からはもっぱら、「ドゥー ユー ハブ ア アメリカンウイスキー?」と聞いていた。バーボンとはあまり言わないのかなあ?今だに良く分からない。
それでも店にバーボンはあまりなく、あったとしてもジャックダニエルとジン・ビームくらい、たまにワイルドターキーがあるくらいだ。それをオン・ザ・ロックで飲んでいた。
バーでバーボンロックを飲んでいると、
「良くそんな強い酒飲むねえ~」「君はある中かい?」とカナディアンに何回か言われた。
ある時なんかジャックダニエルのロックを一人でカウンターで飲んでいると、
「そんな臭い酒良く飲めるなあ~? そんなのは garbage(ゴミ)だ!」と隣に座っていた白人のおじさんに怒鳴られ、
「俺みたくカナディアンビールを飲め!!」と言われた。これもアメリカへの対抗意識なのだろうか......?
カナダ人は良くビールを飲む。バーではだいたいの人が、生ビールの入ったでっかいグラス(中ジョッキくらいのサイズかな?)かボトル(小瓶、日本ではあまり見ないが)を飲みながら隣の人と喋ったり、カウンターの上にぶら下っているテレビ(どこでもテレビがぶら下っている!)のスポーツ中継を見て楽しんでいる。
こっちの人は日本人の様に強い酒はあまり飲まない。あとはワインくらいかなあ。
僕の住んでいたトロントがあるオンタリオ州は、酒に関して結構厳しい州だった。他のカナダの州やアメリカの各州も、その州によって細かく規制されているので、一概には言えないが。
まず驚いたのが、バーやレストランは午前二時以降、酒を売ってはいけない事だ。だから遅くやっている店でも、大抵午前二時過ぎに閉店。
もちろん、どこの国でも法律を破る者がいるように、ヤミでそれ以降も酒を出している所もある事にはある。
人から聞いた話しでは、あるチャイニーズレストランでは顔見知りの客だけに、普段お茶を入れている急須に酒を入れて、他の人には分からない様に出しているという。さすが華僑魂!
朝までやっているカラオケボックス(韓国人経営、なんとそこは手動選曲システム!? 店の人間が別室で客の入れた番号を見てディスクを入れていた)では、二時以降お客さんが自分で持って来て飲まない様に、入店の際カバンの中身をチェックされる。もし店が売ったとしたら、即刻営業停止だから店側の対応も厳しい。
でもある店で友達と飲んでいる時ふと疑問を抱いた。その店は珍しく午前四時までの店だった。
二時までしか売れないのであれば、こっちが二時前までにいっぱい頼んで(例えばワインとか)おけばいいじゃん! 店が終わる四時までそれを飲めるじゃん!!
しかし、さすがカナダ!?
ある時、それを実行しようとちょっと多めにラストオーダーで頼み、二時過ぎてからも飲んでいた。時計を見ると二時半、やったー作戦成功!......と思いきやウェイターが僕の前に現れ、ひとこと言った。
「あと十五分で全部飲んでくれよ!」
ウヒャー、マジかよ! なんと飲み干す時間まで決まっていたのだった。
僕は残っていたワインを一気に飲んだ。おかげで次の日は少し二日酔いだったよ~!
バーボンは難しい(1)
まだ日本にいる時、
「お前カナダに行ったらタバコ吸えないぞー!」
「思い切って辞めちゃえ!」と友達に言われた。
外国はタバコに対して厳しい、吸う場所がない、などの情報を聞いていた。
僕はタバコを吸う、結構吸う(その当時......今はスッパリ辞めてます!!)。実際のところどうなっているんだろうと、少々不安を持ちながら、12時間の地獄の様な禁煙飛行機に乗ってカナダにやって来た。
でも実際は思っていたよりそうでもないかな、というのが感想だった。
たしかにタバコを吸わない人は日本よりは断然多い。ホームステイ先のボールドウィン夫妻も吸わなかったので部屋の中では吸えず、僕はタバコを吸いたくなると、十五階からわざわざ一階まで降りて外で吸っていた。お陰で本数は減り、皮肉にもその時体調は良かったような気がする(やっぱりタバコは体に良くないんだよねえ~)。
公共の場所、駅、コンサートホール、役所などは全面禁煙。日本の様に建物の中に灰皿がある所はまず無い。
大きなスタジアムでは喫煙ブースを作って、愛煙家が街灯に集まる蛾のごとくそこで吸っている(僕も蛾になった)。
でも一歩外に出ると問題なく吸える。
それに道端に結構灰皿が置いてある。
レストランもタバコを吸える席は少ないんだけど、ある事はある。バーなどはカウンター席はたいがい吸える(その当時はそんな感じだったんだけど、今ではレストランやバーも全面禁煙!!)。
一番違う所は、タバコの値段が高いという事だ。
二十本入り一箱3.5ドル~4.5ドルもする(その当時も高かったけど、今ではもっと上がり、日本円で1000円超えくらいだ)。
街を歩いていると良く声を掛けられる。タバコを一本くれ!と言うのである。
日本では自動販売機でタバコを買う事が出来るけど、カナダやアメリカでは自動販売機という物自体が限られた所にしかない(あるとしてもジュースくらい)。
カナダ、アメリカの街角に自動販売機がもし設置されたら、次の日に直ぐ荒くれ物によって壊されているだろう。彼等にとってその自動販売機は、道端に置き忘れられた金庫と同じなのだから。
公衆電話さえも無残に壊されている物もある。
更にタバコを売る店側もかなり厳しい。ちょっとでも未成年かなと思うと、ID(身分証明書)を見せろとくる。
特にアジア人は若く見えるので、30にもなる僕でもたまに言われた。最初のうちは、こっちも英語でビビッているので、しょうがないなあ~と思っていたけど、だんだんと頭にくる。
ある時免許証を見せて、
「30だよ! ところでお前はいくつだ?」と言ったら、25だった(やんなっちゃうねえ~)。
それだけ厳しいので、未成年は歩いている人間からタバコを恵んでもらおうとする訳だ。まあ、高いというのもあるんだけどね。
最初は何て言っていいか分からないし、面倒くさいし、ちょっと怖いので、つい渡していた。火まで着けちゃったりして(情けねえ~!)。
でも友達にいい言葉を教えてもらって、その後は使っていた。
" Sorry, this is the last one"(吸っているタバコを指さして)
これを言うとほとんど、「じゃあいいや、バイバイ!」という事になる。それ以上しつこくは言ってこない。お互い、ま~るく治まる良い嘘だ。
最初の頃なんて一日中、街を歩いていたら、五本位なくなる日もあった。こっちだって貧乏なのに、なんなんだよ~!!
でも、たまに未成年ではなく、普通のスーツを着たおじさんにも言われる事がある。たぶん禁煙大国だから、あまり吸わない様にタバコを持って歩かないんだろう。けど我慢出来なくなり、一本ちょ~だい!という事なのだろうか?そういう人にはあげてた。お互い様だからねえ~。
因みにカナダではカナダのタバコを吸う(当たり前か?)。
なぜ、そういう事を言うのかというと、ここカナダは国境挟んでアメリカとべったりくっついているのに、なぜかアメリカのタバコがなかなか売っていない。
相当大きなタバコ専門店でも数種類しか置いていない。ヨーロッパのタバコの方が多いくらいだ。
大国アメリカの隣にある国カナダとしての意地なのか?カナダ経済のために国産を買おう!という事なのか?
まあ、タバコだけじゃなく酒もそうなんだけど、カナダ人のアメリカ対抗意識は強いのである。
あ、そう言えばタバコに関してまだあった。種類が多いんだよねえ~。
銘柄の種類だけじゃなく、同じタバコでも二十本入り二十五本入り、短いの長いの......。
その組み合わせでいろいろある。だから僕がいつも吸っているタバコを店で買おうとすると、
「キャナイ ハブ ア デュモリア エクストラ ライト スモール キング サイズ プリーズ?」(デュモリア エクストラ ライト...タバコの名前、スモール...二十本入りの小さい箱、キングサイズ...普通の長いタバコ)と正確に言わなければ、いろいろなのが出て来てしまう。
地下鉄駅で、もう直ぐ電車が来るという時でも、キヨスクでこの長ったらしい文章を、早口言葉の様に店員に急いでぶつける。
僕がカナダに住んでて一番多く使った文章は、これではないかと思う。最初は何回も噛んだり、発音が通じなかったりしたが、何回も言い続けるとバッチリになる。やっぱり継続は力なりだ!?
ホットドック(2)
ホットドックとともに、全世界に広がったアメリカの食文化と言えば、やっぱりファーストフードだろう。
カナダにも沢山のファーストフードの店がある。ハンバーガーやピザ、タコスなど、カナダやアメリカの沢山の会社が競争し合っている。
その中でも一番有名なのが、やっぱり日本でもお馴染みのマクドナルドだろう。こっちでも、しょっちゅうテレビで「今週は✖✖バーガーが99セント!」とかやっている。
僕は日本に住んでて、ファーストフードの店にあまり行ったことがない。別に嫌いではなく、友達に誘われればヒョイヒョイとついて行くんだけど、それも何回もではない。ましてや一人で行った事なんて数える程しかない。
何故かと言うとあの女子高生軍団のせいだ。
今はそうでもないかも知れないけど、昔はどこの店でも学校帰りの女子高生がウジャウジャいて、ピーピーキャーキャーとまるで自分の家の様に騒いでいるのである。その彼女達のパワーに圧倒されて、僕はファーストフードの店に行きづらくなってしまった。
しかしカナダでは違った。
もちろんカナダ版コギャル?もいるにはいるが、あまり集団でドカーッと入って来る奴等は日本よりは少ないと思う。
それにこっちでは仕事途中の会社員や、おじいちゃんや若者など、一人の人が多く、僕でも入り易かった。皮肉にもカナダに来て一人でマクドナルドに何度も行くようになってしまった。
同じマクドナルドでも、こっちの店員は個性が強い!
機嫌の良い店員だと、
「ハ~イ、元気~?今日は天気が良くて気持ちいい日ねえ~。オーダーは何にする~?」な~んて言う感じ。
悪い店員だと、
「あんた何にすんの?はやくしなー!次、あんたは?」まあ、はやくしなー!とは言わないまでも、そんな風に感じてしまう。
”お客様に買って頂きます” といった日本の ”お客様は神様です” 的考えと、あの気持ち悪いマニュアル化されたサービスは、こっちには存在しないのである。
でも最近このホットドックやファーストフードはジャンクフード(junk...くず)と呼ばれていて、あまり体には良くないみたいだ。なんてったって肉が安すぎる!
実際僕も貧乏だった時、一か月ほぼ毎日ホットドックを食べていた時、なんか体調良くなかった(まあ、どんな物でも毎日食べたら体壊すか)。
程々に楽しみましょう。
ホットドック(1)
アメリカやカナダは、ヨーロッパの様にそれぞれを代表する料理という物がほとんどない。二つの国とも、もともといろいろな国から集まった移民によって出来た新しい国なので、伝統料理は存在しないのだ。
しかしその中でもアメリカの食文化で一番代表的な食べ物、それはホットドックだろう。
僕達の世代はそうでもないだろうけど、少し前の世代の人達は、ホットドックと言えば映画で見た憧れのアメリカを思うんじゃないのかなあ。
そのホットドックはもちろんカナダにもある。
街のあちこちに屋台があり、小さな子供から会社員、杖をついたおばあちゃんまでいろいろな人が買って食べている。
僕も大変お世話になった(とくに貧乏な時)。
店や種類によって値段も違うんだけど、だいたい1ドルから3ドル(当時1カナダドル80円くらいだったかなあ)ぐらいだ。たまに2ドルでポップ付き(ジュースのこと)という所もあり、見つけるととても嬉しい(わざわざその屋台まで買いに行ったり)。
うまい英語で頼む人もいるけど、僕は単純明快な "One hot dog please!" だった。hotの発音はホットではなくハットとホットの間ぐらいかなあ(たぶん)。
パンに、焼いた長いソーセージを挟んでくれる。
店によっては、パンも少し焼いて暖かくしてくれる所もある。それに粉チーズやピクルス、ピーマン、タマネギ等の具を自分で好きなだけ入れて、最後にケチャップとマスタードをかけて出来上がり。
気のいいおじさんは、"Have a good day!"(いい日でね!)と言ってくれるので、"You too !"(あなたもネ!)と言い返す。
僕はこの二つの言葉がすごく好きだ!
悩んでいたり元気がない時に、この言葉を聞くと、少しだけ元気になれる。もちろん、ホットドック屋だけじゃなくて、スーパーや銀行の窓口、人に道を尋ねた時など、あらゆる場面で人と別れる時交わされる。
店で物を買った時、店員は「ありがとうございます!」と言う。でもお客さんの方も「ありがとう!」と言う。そして「いい日でね!」「あなたもね!」とお互い言い合う。
お客が上で、店員が下だという事がいい意味でない。
それぞれ同じ人間として、”今日一日楽しく過ごそうよ!”という意味がこの言葉にはあると思う。
なんか、あったかくて いいんだよね~。
カナダに着いて間もない頃、まだ友達もいない僕は、一人ぼっちで良く街をブラブラしていた。
ある天気のいい日、その日はオンタリオ湖畔を歩いていた。
海の様に真っ青で、広大なオンタリオ湖を望むハーバーフロントは、沢山のカップルや世界中から来た観光客で賑わっていた。
異国の地で一人の僕は、なんかとてつもなく寂しくなり、人々が沢山いる場所から離れたくて、湖沿いをどんどん歩いて行った。
三十分程歩くと観光客は誰一人居なくなり、道を歩く人もまばらになった。
湖には二隻のヨットが繋がれていて、のどかで、いい感じだ。少し腹が減ってきた僕は店を探すが、そんな所なのでなかなか見当たらない。
ふと湖の方に目をやると、湖沿いに伸びている道の脇に、ホットドックの屋台がある。
その店の店主は人懐っこい南米系の奴で、ノリのいいラテンの音楽をラジカセでかけていた。
僕はホットドックとコーラを買い、屋台の直ぐ隣にあったベンチに腰掛け、オンタリオ湖を見ながら食べていた。
「どこから来た?」暇な彼は話しかけてきた。
「ジャパン、知ってる?」奴はウンウンとうなずいてはいたが、絶対知らないなと思った。
彼の国も聞いたが良く分からなかった。お互い様だ。
「今日は、忙しいの?」この場所でそんな訳ないんだろうけど、一応社交辞令で聞いてみた。
「ここは、駄目だね、でもあんたが買ってくれたから、もういいんだ。そんなに忙しく働きたくもないし」
「ここは、好きな音楽をデッカクかけれるからいい場所だよ!」(たぶん、こんな事を言っていた)
僕もそうだね~。と言った
のどかな風景と気持ちのいい天気、それと奴の言葉とラテンの音楽が一体化して、ほのぼの~とした感じになった。
帰ろうと手を振ると、奴が言った、
「Have a good day !」
僕も言った。
「You too !」